自分を愛するというコト。
”フランスでは、化粧水の前にオイルを肌に入れるのが常識よ。“
と憧れの女性に教えていただいて以降、ココナッツオイル+その日の気分に合わせたエッセンシャルオイル2〜3滴を、化粧水前にお肌に塗込むのが私のスキンケアの定番です。
この方法にチェンジしてから、お肌の調子がとても良い!自分史上最高に肌がなめらか!
気になっていたニキビ跡も段々・・・♡
こんな風に、
自分史上最高に肌が綺麗♡
自分史上最高においしい餃子作れた♡
自分史上最高に筋トレが続いた♡
とか、“自分史上最高”を更新することは楽しいです。“自分史上最高”には果てがないからさらに楽しいです。そして、他人と自分を比べないことにも繋がるから、なお良い。
そんなこんなで、自分史上最高を更新し続ければ、多分、自分のこと大好きになれるぞ!?いけいけー!!ゴーゴー!!
…って最近思ったのですが踏みとどまりました。あー、危ない危ない。
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自分のことを愛せるようになりたい、と思うようになったのは、中学生のとき、好きな人ができたことからでした。
よく、好きな人に好きになってもらうには、まず自分を好きになりましょう、みたいなのあるじゃないですか。「愛されるためには、愛らしくあれ」みたいな。愛の格言と言うか金言ですよね。私、あれ、恋愛したてのころは結構勘違いしていて、
「ほー、ってことは、自分の外見を磨きまくれば自信もつくし好きになれるな!」
と本屋さんで立ち読みしながら思っていました。
中学生の私は、容姿にかなりのコンプレックスがあって、劣等感の塊でした。
客観的にみた私たちの家族は、オシャレな父と女優のような母とイケメンで何でも出来る兄。その中にポツン、とできてしまった平凡以下な私。みたいな構成だと思っていました。私は見た目もぽっちゃりしていたし、周りからもなんで妹だけ…?と言われたこともあったから、あ、お兄ちゃん私が妹だと嫌かな〜とか、お父さんとお母さん恥ずかしいかな〜、とか、被害妄想かもしれないけど、そんなことをずっと思っていて、まぁ、とりあえず自分が嫌いでした。
そんな私が初めて本気で恋をしました。
好きになって欲しい!と思う人が出来て、よし変わるぞー!可愛くなってやるー!と思って、努力したんです。10kg痩せたり、毎晩まぶたにセロハンテープ貼って二重にしたり、髪の毛毎日トリートメントしてサラサラにしたり…
そしたらなんか周りからもどんどん変わったねー!とかすごいねー!とか言われるようになって、彼も出来て、まあー、それは気分が良くて、よし!もっと頑張ろうー!って。
でも、どんなに見た目を良くしよう!と頑張っても、外見の美しさには果てがないから、理想の自分はどんどん高くなって離れていき、終わりがなく、いつの間にか泥沼にはまっていました。太るのが怖くなって摂食障害になってしまい、見た目とかイメージを気にしすぎて素を出すのが怖くて、言いたいことまったく言えなくなり、自分への評価はいつも最低で。いつも自分を着飾って見栄はっていい人ぶって、色んなものにとらわれて、もう、ボロボロでした。
そして、何もかもがうまく行かなくなったときに初めて、「あ、これじゃダメだ。」って気付きました。「愛されるためには、愛らしくあれ」という言葉の意味が、内面から美しく、素の自分を大切にすることだ。とわかるようになりました。
よし、変わろう。健全に生きよう。と思いました。
だがしかし!
頑張った経験から得たプライドって本当に頑固で、簡単には手放せません。
どん底を見た気になっていた私は、何があっても大丈夫。人より苦労したし、努力した。結果も出した!だからすごいの、このままでいいの!これが私!みたいな、変な自信をつけてしまいました。この自信はやがて過信に変わり、私を変な方向に連れて行きました。
そんな私は以前、「人生には時間がないんだから、自分にとって本当にいい人だけと付き合うべし!」案を採用しており、頭の中には常に、“こんな人はダメ!リスト”がありました。
・自信がない人は努力していない
・悪口言う人はダメ
・恋愛の悩みは自分で解決すべし
・学ばない人はダメ etc…
表面上では良い顔をしておきながら、心の中ではいつも人をジャッジしていました。そして、人と自分を比べて、幸せそうな人には嫉妬して、人の幸せは到底願えなくて。恥をかくくらいなら関わらない。踏み込まない。いつも、どうしたら相手によく見られるか?だけを考えて行動していました。一番近寄りたくないタイプの人間でした。
自分を好きになるためにしたはずの努力は、過去の栄光への執着に変わり、プライドをどんどん高くし、私の内側をどんどん醜くしていきました。
そしてこの醜さはどうやったら隠せるのか、そればかり考えていました。
でもそんな私に喝を入れてくれる出来事がありました。
現在、サロンで行っているアロママッサージは、
現状のカウンセリング→施術→アフターカウンセリング
的な流れで行います。
私は最初のころ、お茶を出したり、受付したりしながら様子を見守っていました。
そして、いつも様子を見守りながらしてしまっていた悪いクセがあります。それが脳内ジャッジ。現状のカウンセリングのところで始めていました。そう、“こんな人はダメ!リスト”に当てはめるんです。
あ、この人言い訳ばっかり。ダメ!!!
あー、でたよ、被害者ぶる人。ダメ!!!
なんで努力もしてないのに卑屈かなー。ダメ!!!
この人ありがとう言わない。ダメ!!!
みたいな。
あー、世の中はなんて絶望的な人で溢れているのかしら。と思っていました。
ところがですね、施術が終わり、アフターカウンセリングの時、その意見はガラリと変わるんです。
天然の香りは感情を触発します。
だからなのか、なんなのか。
なんかみんな、施術後泣くんです。
もっと良くなりたい、変わりたいんです。って。
なんか、そんな姿が皆さんとても美しくて、愛しくて、人間ってなんて綺麗な生き物なんだ…。と思うようになりました。
そしてやっと気付きました。
あ、そうか。今まで、フタを閉じて見ない振りしていたけど、一番被害者ぶっていたのは私だ。卑屈だったのも、言い訳していたのも、人への感謝が足りなかったのも全部私だ。ということ。
自分の弱さを発見して認めて、初めて人の痛みがわかりました。今まで、私はとんでもなく失礼な人間だったんだな、とも思いました。
目の前に現れる人は、自分の鏡だ。
という言葉があります。
私はそれまでこの言葉がどうも納得出来ませんでした。私は目の前の人みたいに言い訳しないし、努力もしているし、絶対鏡じゃない。って。
でも、今なら、間違いなくその通りだと思います。
目の前に出てくる人が、たとえばかなり嫉妬深くて執念深い人で、一生関わりたくないタイプの人でも、自分の中にも絶対そういう部分あります。もしかすると自分の方がヒドいかも。笑
そこに気付いて受け止めるようになると、不思議なことに、人の幸せを少しずつ願えるようになり、少しずつ、オープンに、素直に、そして人と深く関わりたいと思うようになりました。
もちろんまだまだ発展途上のペーペーで、好かれたいがために、つい見栄を張っちゃって、「あーまたやっちゃったーーーー!大反省。。。」みたいなことも多々あります。見た目にもまだまだ執着しちゃうし、家族愛について書くのも、過去の私を慰めるためかもしれません。「あの時ああいっておけばもっと印象よかったかも…!」みたいな、変なプライドさんも、「は〜私こんなに頑張ってるのに。誰かわかってよ!」見たいな自分勝手なかまってちゃんもまだまだたくさん出てきます。その度に、いやだ〜〜〜!やめて〜〜〜出てくるな〜〜〜!みたいな葛藤も心の中では繰り広げられます。
弱いところに気付けているだけでも少し成長したなと思うのですが、気付いて認める作業は本当に果てしない…。たくさんの恥と失敗が必要ですね。
そう思うと、自分を着飾っている方が楽で生きやすいのかもしれません。
でもやっぱり、私のことを好きと言ってくれる人たちを本当に大切にしたいし、誰かの幸せを心の底から願える自分になりたいし、素のまま愛したいし愛されたいし。
そのためには、たくさんの人と関わって、素の自分を好きになるしかない。
自分の中に存在する闇を見つけてあげて認めてあげる。弱いところを受け入れる。そしてさらけ出す。毎日、このどうしようもなく、「ウギャーーーッ怖いいいいいい」ってなる作業の繰り返しですが、どんどん自分の角がとれて、丸くなっていくのを感じます。
そして、自分が満たされてくると、周りが本当に愛で満たされていきます。“おい!執着してるぞ!”って気付いて愛のある注意をしてくれる人とか、“成長したよね。”って言ってくれて、ちゃんと見てくれている人に出会ったりもします。あれ、私の周りこんなに優しかったっけ?みたいなことがたくさん起こります。超嬉しいです。
そして、今度は、そういう人達が満たされることを本気で願えます。
この世の中は、愛だけで生きていけるほど甘くはないし、生き抜くためには、勝ったり負けたりを繰り返さないと行けないかもしれません。醜い感情は少しこぼれただけでも袋だたきにされてしまうし、たった一度の過ちが人生を大きく狂わせることもあるわけです。本当に厳しいです。
でも、だからこそ、何があっても大丈夫。と、受け止めてくれる強くて大きな愛が必要で、そしてそれは、自分以外に求めることはできないのだろうと思います。
まだ20そこそこで、言葉と行動の不一致に苦しんでいるような私の考えなんて本当に浅はかで、甘いのかもしれないし、自分はまだまだ全く上手く表現出来ていないのだけど、今の日本には圧倒的に愛が足りない、なんて思っています。
だから、たくさんの人が自分を大きな愛で包み込めるようになったらいいな。
そしたら日本、もっと綺麗だろうな。
社会の壁や競争から逃れることは出来ないけど、みなさまどうぞ、ご自愛くださいませ。
傲慢になったら、無垢な私から喝!です。笑
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