自分を愛するというコト。”フランスでは、化粧水の前にオイルを肌に入れるのが常識よ。“と憧れの女性に教えていただいて以降、ココナッツオイル+その日の気分に合わせたエッセンシャルオイル2〜3滴を、化粧水前にお肌に塗込むのが私のスキンケアの定番です。この方法にチェンジしてから、お肌の調子がとても良い!自分史上最高に肌がなめらか!気になっていたニキビ跡も段々・・・♡こんな風に、自分史上最高に肌が綺麗♡自分史上最高においしい餃子作れた♡自分史上最高に筋トレが続いた♡とか、“自分史上最高”を更新することは楽しいです。“自分史上最高”には果てがないからさらに楽しいです。そして、他人と自分を比べないことにも繋がるから、なお良い。そんなこんなで、自分史上最高を更新し続ければ、多分、自分のこと大好きになれるぞ!?いけいけー!!ゴーゴー!!…って最近思ったのですが踏みとどまりました。あー、危ない危ない。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜自分のことを愛せるようになりたい、と思うようになったのは、中学生のとき、好きな人ができたことからでした。よく、好きな人に好きになってもらうには、まず自分を好きになりましょう、みたいなのあるじゃないですか。「愛されるためには、愛らしくあれ」みたいな。愛の格言と言うか金言ですよね。私、あれ、恋愛したてのころは結構勘違いしていて、「ほー、ってことは、自分の外見を磨きまくれば自信もつくし好きになれるな!」と本屋さんで立ち読みしながら思っていました。中学生の私は、容姿にかなりのコンプレックスがあって、劣等感の塊でした。客観的にみた私たちの家族は、オシャレな父と女優のような母とイケメンで何でも出来る兄。その中にポツン、とできてしまった平凡以下な私。みたいな構成だと思っていました。私は見た目もぽっちゃりしていたし、周りからもなんで妹だけ…?と言われたこともあったから、あ、お兄ちゃん私が妹だと嫌かな〜とか、お父さんとお母さん恥ずかしいかな〜、とか、被害妄想かもしれないけど、そんなことをずっと思っていて、まぁ、とりあえず自分が嫌いでした。そんな私が初めて本気で恋をしました。好きになって欲しい!と思う人が出来て、よし変わるぞー!可愛くなってやるー!と思って、努力したんです。10kg痩せたり、毎晩まぶたにセロハンテープ貼って二重にしたり、髪の毛毎日トリートメントしてサラサラにしたり…そしたらなんか周りからもどんどん変わったねー!とかすごいねー!とか言われるようになって、彼も出来て、まあー、それは気分が良くて、よし!もっと頑張ろうー!って。でも、どんなに見た目を良くしよう!と頑張っても、外見の美しさには果てがないから、理想の自分はどんどん高くなって離れていき、終わりがなく、いつの間にか泥沼にはまっていました。太るのが怖くなって摂食障害になってしまい、見た目とかイメージを気にしすぎて素を出すのが怖くて、言いたいことまったく言えなくなり、自分への評価はいつも最低で。いつも自分を着飾って見栄はっていい人ぶって、色んなものにとらわれて、もう、ボロボロでした。そして、何もかもがうまく行かなくなったときに初めて、「あ、これじゃダメだ。」って気付きました。「愛されるためには、愛らしくあれ」という言葉の意味が、内面から美しく、素の自分を大切にすることだ。とわかるようになりました。よし、変わろう。健全に生きよう。と思いました。だがしかし!頑張った経験から得たプライドって本当に頑固で、簡単には手放せません。どん底を見た気になっていた私は、何があっても大丈夫。人より苦労したし、努力した。結果も出した!だからすごいの、このままでいいの!これが私!みたいな、変な自信をつけてしまいました。この自信はやがて過信に変わり、私を変な方向に連れて行きました。そんな私は以前、「人生には時間がないんだから、自分にとって本当にいい人だけと付き合うべし!」案を採用しており、頭の中には常に、“こんな人はダメ!リスト”がありました。・自信がない人は努力していない・悪口言う人はダメ・恋愛の悩みは自分で解決すべし・学ばない人はダメ etc…表面上では良い顔をしておきながら、心の中ではいつも人をジャッジしていました。そして、人と自分を比べて、幸せそうな人には嫉妬して、人の幸せは到底願えなくて。恥をかくくらいなら関わらない。踏み込まない。いつも、どうしたら相手によく見られるか?だけを考えて行動していました。一番近寄りたくないタイプの人間でした。自分を好きになるためにしたはずの努力は、過去の栄光への執着に変わり、プライドをどんどん高くし、私の内側をどんどん醜くしていきました。そしてこの醜さはどうやったら隠せるのか、そればかり考えていました。でもそんな私に喝を入れてくれる出来事がありました。現在、サロンで行っているアロママッサージは、現状のカウンセリング→施術→アフターカウンセリング的な流れで行います。私は最初のころ、お茶を出したり、受付したりしながら様子を見守っていました。そして、いつも様子を見守りながらしてしまっていた悪いクセがあります。それが脳内ジャッジ。現状のカウンセリングのところで始めていました。そう、“こんな人はダメ!リスト”に当てはめるんです。あ、この人言い訳ばっかり。ダメ!!!あー、でたよ、被害者ぶる人。ダメ!!!なんで努力もしてないのに卑屈かなー。ダメ!!!この人ありがとう言わない。ダメ!!!みたいな。あー、世の中はなんて絶望的な人で溢れているのかしら。と思っていました。ところがですね、施術が終わり、アフターカウンセリングの時、その意見はガラリと変わるんです。天然の香りは感情を触発します。だからなのか、なんなのか。なんかみんな、施術後泣くんです。もっと良くなりたい、変わりたいんです。って。なんか、そんな姿が皆さんとても美しくて、愛しくて、人間ってなんて綺麗な生き物なんだ…。と思うようになりました。そしてやっと気付きました。あ、そうか。今まで、フタを閉じて見ない振りしていたけど、一番被害者ぶっていたのは私だ。卑屈だったのも、言い訳していたのも、人への感謝が足りなかったのも全部私だ。ということ。自分の弱さを発見して認めて、初めて人の痛みがわかりました。今まで、私はとんでもなく失礼な人間だったんだな、とも思いました。目の前に現れる人は、自分の鏡だ。という言葉があります。私はそれまでこの言葉がどうも納得出来ませんでした。私は目の前の人みたいに言い訳しないし、努力もしているし、絶対鏡じゃない。って。でも、今なら、間違いなくその通りだと思います。目の前に出てくる人が、たとえばかなり嫉妬深くて執念深い人で、一生関わりたくないタイプの人でも、自分の中にも絶対そういう部分あります。もしかすると自分の方がヒドいかも。笑そこに気付いて受け止めるようになると、不思議なことに、人の幸せを少しずつ願えるようになり、少しずつ、オープンに、素直に、そして人と深く関わりたいと思うようになりました。もちろんまだまだ発展途上のペーペーで、好かれたいがために、つい見栄を張っちゃって、「あーまたやっちゃったーーーー!大反省。。。」みたいなことも多々あります。見た目にもまだまだ執着しちゃうし、家族愛について書くのも、過去の私を慰めるためかもしれません。「あの時ああいっておけばもっと印象よかったかも…!」みたいな、変なプライドさんも、「は〜私こんなに頑張ってるのに。誰かわかってよ!」見たいな自分勝手なかまってちゃんもまだまだたくさん出てきます。その度に、いやだ〜〜〜!やめて〜〜〜出てくるな〜〜〜!みたいな葛藤も心の中では繰り広げられます。弱いところに気付けているだけでも少し成長したなと思うのですが、気付いて認める作業は本当に果てしない…。たくさんの恥と失敗が必要ですね。そう思うと、自分を着飾っている方が楽で生きやすいのかもしれません。でもやっぱり、私のことを好きと言ってくれる人たちを本当に大切にしたいし、誰かの幸せを心の底から願える自分になりたいし、素のまま愛したいし愛されたいし。そのためには、たくさんの人と関わって、素の自分を好きになるしかない。自分の中に存在する闇を見つけてあげて認めてあげる。弱いところを受け入れる。そしてさらけ出す。毎日、このどうしようもなく、「ウギャーーーッ怖いいいいいい」ってなる作業の繰り返しですが、どんどん自分の角がとれて、丸くなっていくのを感じます。そして、自分が満たされてくると、周りが本当に愛で満たされていきます。“おい!執着してるぞ!”って気付いて愛のある注意をしてくれる人とか、“成長したよね。”って言ってくれて、ちゃんと見てくれている人に出会ったりもします。あれ、私の周りこんなに優しかったっけ?みたいなことがたくさん起こります。超嬉しいです。そして、今度は、そういう人達が満たされることを本気で願えます。この世の中は、愛だけで生きていけるほど甘くはないし、生き抜くためには、勝ったり負けたりを繰り返さないと行けないかもしれません。醜い感情は少しこぼれただけでも袋だたきにされてしまうし、たった一度の過ちが人生を大きく狂わせることもあるわけです。本当に厳しいです。でも、だからこそ、何があっても大丈夫。と、受け止めてくれる強くて大きな愛が必要で、そしてそれは、自分以外に求めることはできないのだろうと思います。まだ20そこそこで、言葉と行動の不一致に苦しんでいるような私の考えなんて本当に浅はかで、甘いのかもしれないし、自分はまだまだ全く上手く表現出来ていないのだけど、今の日本には圧倒的に愛が足りない、なんて思っています。だから、たくさんの人が自分を大きな愛で包み込めるようになったらいいな。そしたら日本、もっと綺麗だろうな。社会の壁や競争から逃れることは出来ないけど、みなさまどうぞ、ご自愛くださいませ。2019.07.01 14:50
幸せな人生への備忘録〜24歳の私から、25歳の私へ〜◾️幸せになりたいのなら…まずは自分を愛する、受け入れる。それが第一歩みたい。いいところだけを愛でるのではなく、絵が苦手なとこも、嫉妬深いとこも、負けず嫌いなとこも、不機嫌になって可愛げのない時も、あーあ、しょうがないなあ私。ふっ笑って、笑ってあげること。自分のことは自分で満たしましょう。◾️健康が資本です。24歳は、原因不明の病から始まりましたね。笑わかっているようでわかっていない、健康じゃないと人生の楽しみが半減するということ。無理はし過ぎない、しっかり休む、よく笑う、身体を動かす、栄養は勉強してしっかり摂る。身体を壊すために頑張っているわけじゃないことを忘れずに。自分で気をつけられることはしっかりしましょう。◾️心と体は繋がっています。ネガティヴな時は、大抵胃腸が悪いですね。もしくは背筋が曲がってます。速攻対処しましょう。◾️人の言葉でクヨクヨ悩まない病床に伏し、もしかしたらこのまま死ぬかも…と思った時に、一番に後悔したのが、「なんであのとき、あんな人の一言で何日も悩んだんだろう…」でしたね。もっと、大切な人のために時間を使えばよかった。誰かの一言で落ち込んだ時、その相手は私にとって大切か大切じゃないかを見極めること。本当に私を思って言ってくれたのであればありがたく受け取り、そんなに私のこと思ってない人の言葉であればすぐに忘れること。◾️過去は、今の自分によっていくらでも変えられる苦しかった思い出も、今の自分が幸せだったら、あれのおかげで今の自分の幸せが…!ってなるし、幸せだった思い出や過去の栄光は、今の自分が満たされてなかったら、執着の種になって自分を苦しめます。結局今の自分が大切だから、自分の幸せを貪欲に求めること。そうすればきっとどんな過去も、思い出した時にふっと温かい気持ちをくれるものになるはず。◾️自分の中にあるものはどんどんどんどん捨てていく自分の幸せを求めるために余計なものは捨てる。たとえそれがどんなに輝かしいものでも。◾️いい加減な友、いい加減を許してくれる友を大切に…例えば、会う約束をしていたけど、当日になって「やっぱり今日一人でいたい気分になったから…」とか言ってくるゆるい人が大好きだし、そう言わせてくれるような器の人も大好き。そんな友達は一生もの。◾️「〜らしいよ?」は使わない砂糖が甘いことも、レモンが酸っぱいことも、あの映画が面白いのかどうか、噂のあの人が本当に悪い人なのかどうかも、自分の五感で感じるまでは真実じゃありません。知識は経験に勝らないことをよ〜く覚えておくこと。◾️人のことを陰で言わない後から、え、この人いい人だったじゃん。ってなったとき、絶対後悔するから。そして大抵そうなるから。◾️人と比べないどーせ私は私にしかなれない。◾️SNSを、強制的にアンインストールする期間を設けるでも、どーせ私は私よ!…とわかっていても、キラキラした投稿を見ると、うらやましい、うらやましい、うらやましい…!!!!そう思って自暴自棄になりそうな自分がいますね。笑隣の芝は、どう頑張っても青く見えます。なので強制的に見ない!!!そんな期間を設けること。◾️安物買いの銭失いいいもの、本物を、長く大切に使うこと。結局それがゴミを減らし、地球を守ることに繋がると思う。◾️自分の「好き」を大切に人は絶対、自分の好きなものについて語っているときが一番カッコよくてキラキラしている。インスタ映えの写真より、釣り好きの友達が毎度毎度あげる魚の写真の方が好き。だから、自分の好きには絶対妥協しないで。そして、「なんか好きだな」って思った時は、その感覚を大切に。例えば、芸術作品を見たときに「なんか好きだけど、この作品のこの作者のこと良く知らないし…」と思って、好きだと言うのを躊躇してしまうことがよくあるけど、好きだと言うことが、まず始まりであるのだ。◾️選択の際、あれこれ理由を求めて考えると絶対失敗する私の場合、選択基準は、好き?嫌い?欲しい?欲しくない?で十分なようです。わからない時は情報全シャットダウンすること。直感は、必ず私を素敵な場所へ運んでくれたことを思い出す。◾️知らないことを恥じない知らないことは素直に知らない、と言う。知らないことをバカにするような人は、自分が知らなかった時のことを忘れている人。素敵な大人は、人が知らないことを知っている。しっかり教えてくれます。◾️愛されて育ったことは、強みである貧困、病気、いじめetc...逆境や不幸から這い上がった人たちの話は、不動の人気を誇っている。そう言う話を聞くと、私はそこまで苦労してないし…と、なぜか自分が小さく見えてしまい、必死に不幸自慢して見たり、這い上がる私ストーリーを考えてみたりもしたが、よく考えるとちゃんちゃらおかしいことである。愛を知っていることは何よりの強みであることを忘れないで。今の時代はきっと、愛されて育った人の方が多いはずでしょう?もっと誇りを持って、愛されて育った分、社会に愛を還元できるような思考を、みんなで持てればいいな。◾️目標のない人生もアリなのだ人生は、マラソンじゃなくて冒険だと思う。ゴールはどこかわからないけど、ただ惹かれるままに、素敵なものを追い求めることだけを忘れなければ、思ってもなかった良い場所にたどり着く。目標にがんじがらめになんて、目の前にあるキラキラしたものを見逃さないように。◾️人間は、何をしてるかよりも、どんな想いを持っているか初対面の方に褒められた時に、「めっちゃ嬉しい(;_;)生きててよかった…」って思わせてくれる人と「なんやねん。お前に何がわかるねん😃」って思ってしまう人がいて、なんでだろ。って思ってたんだけど、きっとその人が世の中的にすごい人かどうかは関係なくて、いかに目の前の人を思って言葉を発しているかどうかなのだと思います。たくさんの素晴らしい肩書きを持っている人が、目の前の人を助ける言葉をかけてあげられるかというと、そうでもないみたい。◾️やっぱり素直さは無敵素直に生きる。嘘偽りなく。愛する人に誠実に。◾️何をしてもいい、ただ、地球環境の保護と子供の幸せは絶対に考えること全大人の責任だと思う。何をしてもいいけど、これだけは忘れないように。◾️いつか死ぬことを知って、自由に、美しく年を重ねることいつまでも、いくつになっても、どこへでもいける思考を持った自分であること。言い訳はしないで、美しく生きたいと願うことを忘れないこと。幸せに生きてください。私。2018.11.04 06:28
正しいコミュニケーションのあり方〜わかりあうということ〜「 正 」は元々、「 ちょうどそうである 」という意味らしい。最近、人の話を聞いていて、なーんかよく聞くなあ…と思っていたのが「みんな考えとか価値観とかそれぞれだからね〜。」という言葉。職場の人間関係がうまくいかない、恋人の気持ちがわからない、友達と喧嘩した…人と人が少しでも深くなり始めるとすぐに訪れるのが、この”価値観分かり合えない問題”だということは、よ〜くわかります。ですが、最近のコミュニケーションの中で違和感を感じるのが、この”価値観分かり合えない問題”にぶち当たった時の解決策が「みんな違うんだから、分からなくて当然よ。」という、諦めで終わってしまうことです。人は生まれたその瞬間から、男女という性別でまず色々と違うし、その人が育ってきた環境、出会う人、興味を持ったもの、影響を受けた思想、感動した経験などによって、多種多様の考えや価値観を持つようになり、人生において何が大事か、という優先順位ももちろん違う。だから人はみんな違う。わたしの常識はあなたの非常識かもしれないし、わたしの正義はあなたの悪かもしれない。それはその通り。で、この考えを前提として、人間関係の壁にぶち当たってしまったとき、解決するための考え方は2つあると思っていて、①人はみんな違う。だから分かり合えないのは仕方ない。②人はみんな違う。だけどもしかしたらどこかで分かりあえる部分があるかも…!という二つ。どうしようもなく傷つけられた相手や、人を大切にしない人、そもそも重きをおくものが違って関わることもないような人だったら、①の、一生わかんなくていいわ、グッバイ!という感じでサヨナラしていいと思うのですが、共通の目的を持つ人たちや、一生を添い遂げるパートナー、友人など、自分が少しでもわかってほしい!という欲が湧くような相手であればどうか、②の考え方を持ってほしいなとか思います。だって、せっかく頑張って本音で意見をぶつけたのに、「まあ私とあなたは違うからね。わかんなくて当然だよ!」で終わってしまったら、" え、終わり?せっかく頑張ったのに… "って、とってもさみしいし、状況も何も変わらない。結局無駄な労力だったな…と、消極的な人は意見を言うことを諦めてしまう。最近は、どんな人でも自分の意見がしっかりあって、それを伝えられる人が増えていて本当にすごいなあと思いますが、そんな素敵な意見を、どうせわかってくれないでしょ、という諦めに晒すのはとってももったいない。だからどうか、話し合いになった時はあなたと私は違うんだな。じゃあ分かり合えないな。とすぐに諦めるのではなく、あなたと私は違うんだな。じゃあどうやったら少しでも近づけるかな?というワンクッションを入れてほしいなと思います。そして、話し合いに「 正しい答え 」というのがあって、それが「 ちょうどそのとおりである答え 」というものなのだとしたらそれはきっと、お互いが意見をぶつけ合った後に、どちらかがすぐに折れたり、妥協するのではなく、わからないけどわかりたい…!と、相手の意見を認め、必死にお互いのことを考えた上で、歩み寄れる部分を探して出す答えなんだと思います。人と人って、あなたと私は違う。だからわからない。だけどわかりたい…!って言う面倒な葛藤を抱えるからこそ成長し、たくさんのドラマを生み、生きててよかった、という満足感を生むんだと思います。最近、近所の若いお父さんが、夜に明かりが煌々とついた家の外で、1人寂しくタバコをふかしている姿をよく見かけます。なんともさみしい光景だなあ〜、何て苦笑しながらも、きっと家族はタバコが嫌いだ、でもパパは吸いたい、じゃあこうしよう!と、家族が歩み寄った結果なんだな〜と思うと、少しほんわかしました。タバコを吸わない人からすると、なんで吸うの?匂い服につくし、体にも悪いし、ホラッ!また咳してる!!!みたいな感じだと思うけど、吸う人からすると、そうは言っても、ストレス社会の唯一の癒し時間なんだよ〜、って感じなんでしょう。この二つの意見が折り合いをつけるのは難しいけど、認めてあげようとすることで、必ず何かいい方法が出てくるはずです。そして、そういう風に、わからないけど認めようとする思いって、絶対に人を幸せにします。私はお家で1人でお酒を飲むのが好きですが、それを友達に話すと大抵、えー、理解できなーい、私は無理ー(笑)って言われますが、ま、でもかれんらしいよ、って認めてもらえた瞬間幸せな気持ちになります。どうか、他人をわかろうとすることを諦めないで、セロリの歌詞のようにやれるだけ頑張ってみて、わかんなくてもせめて認めてあげて、人を満たしてあげられるコミュニケーションが増えるといいなあ、と思います。2018.06.29 13:40
運のいい人、悪い人。〜幸せへの一歩!〜「運がいい人と悪い人ってさ、明らかに存在するじゃない?」「うんうん。」「でね、運がいいって言われている人と、悪いって言われている人を集めて、“良い組”と“悪い組”に分けて実験したんだって。ルーレットで当たる確率を。そしたらね、当たる確率はどっちの組も一緒だったんだって。」「へぇ〜。じゃあやっぱり運が良いとか悪いとかって偶然?思い込み?笑」「そう思うじゃん。ところがね、この実験には続きがあって、この実験に参加した人が帰る道に100円をわざと落としてたんだって。そしたらさ、その100円に気づいたのは圧倒的に運が良いって言われている人たちの方で、運が悪いって言われている人たちは全く気づかなかったんだって。」最近出会った、とても素敵なお話です。目に見えない、スピリチュアルな世界の存在が私達には必要なのだという考えが浸透し、テクノロジーも発展し、もう私達人間に不可能なことは存在しないのではないか、できないことはないのだ、あとは意識を変えるだけだ。そんな考え方が当たり前になってきました。開運したい。隠れている才能を開花させたい。もっと大きなことをしたい。…でも、何をして良いかわからないんです。こういう思いを抱いている人がよくお見えになります。質が高く、純粋なエッセンシャルオイルの香りの力は本当にすごくて、脳に直接働きかけ、私達に植物の成長エネルギーを分けてくれるので、一般的に“奇跡”と呼ばれているようなことがよく起こりますし、運気も上がります。でも、ごく稀に、植物の力を借りても全く変わらない人っています。何をしても、どんなに努力しても全く報われない。自分だけ不幸が続いている気がする。なんで?なんで?なんで?そんな人は冒頭のお話の、地面に落ちた100円に気づかない人たちになっていないかな?と考えてほしいです。そしてそんな100円に気づくコツは間違いなく“上機嫌でいること”です。私はここ数ヶ月、いつも母に、「とにかく上機嫌でいること。あなたが上機嫌でいることで、幸せになる人がいるし、それが一番の社会貢献なのよ。だからね、機嫌が悪くなったり、泣きたい時はね、静かに一人でトイレにこもりなさい。(≧∇≦)」と言われます。涙を流してか弱ぶってれば「いつか王子様が私に胸を貸してくれるはず…♡」なんてウザいウザい!甘いのよ!!オホホホと、母の言葉は続き、私はいつも泣きたくなるわけですが本当にその通り。(笑)いとも簡単にシンデレラコンプレックス(女は今日もなお、外から来る何かが自分の人生を変えてくれるのを待ち続けている、という現象)をも解消してくれます。この言葉を胸に、常に笑顔でいること嫌なことがあったらノートに書いて対話して、今あるものに気づくことを習慣にしています。どんなに不幸続きで苦しくても、手足があること大好きな曲を聴ける耳があること好きな香りを嗅げていること月が綺麗なこと農家の方が丹精込めて作ったお米を口にできることそしてこれらが実はとんでもなく素晴らしい奇跡だということ思ってなくても「幸せだなあ」と口に出す。ノートに書く!頼りたい、甘えたい、の願望も出て来るけどグッとこらえてみる。自分で自分の満たされない空の状態を満たしてあげる努力をする。段々、なんだ、本当に幸せじゃん私。の思考が引き出されてきます。そしてなぜか、自然と助けてくれる人が出てきます。この幸せじゃん私。の脳内お花畑〜みたいな状態でいるとですね、本当に運が良くなります。ブーツ欲しいなあと思っていたら、イベントで当たるし、今日は発泡酒で我慢しよ!と思っていたらレジでビールの無料引換券当たるし、素敵な人ばかりに出会えるし、、、こんなこともたくさん起こります。欲しい欲しいと求めていた時は全く手に入らなかったのに。運って、誰でも良くなるんだな〜と思います。大きなものに向かって頑張ることは素晴らしい。だけど絶対に足元の幸せを無視してはいけない。この世に生まれたということ自体が神様とつながっている証拠なのだ。そう思えることが大前提。いろんな環境で育つ人がいます。環境は決して平等ではないです。ですが、どんな人にも幸せになるための材料は揃っていて、そこらへんに散らばっていると思います。完璧になることはないし、足りないものなんて探し始めるとキリがないけれど、今ある環境の中に幸せを見つけて、弱音や愚痴はそぉーっと心に隠し、ちょこっと頑張ってみる。そうすることが、大きなものを手に入れるための第一歩かな、なんて思っています。2018.02.06 07:16
感情を味方につける〜自分の人生を生きる〜”怒り”は何かを明確にするために。”さみしさ”は誰かに寄り添う素晴らしさを感じるために。”嫉妬”は自分の本当に欲しいもの、やりたいことに気づくために。”悲しみ”は自分に泣くことを許し、癒しと浄化をもたらすために。そして、人の痛みを理解し、もっと優しい自分になるために。多分、これを読んで、あ〜、そうだよね。って思わない人っていないんじゃないかな?って思います。だから、例えどんなにネガティヴな感情でも、自分の中に湧き上がる感情の中に、無駄なものって1つもないと思うし、すべて、幸せになるために備えられたギフトだと思うんです。でも、なぜ人は、ネガティヴな感情を毛嫌いし、なくそうとするのか。私も自分の中から湧き上がるネガティヴな感情がずっと嫌でした。嫉妬は醜いからなんとかしなきゃ。泣いたら人に迷惑がかかる。怒ったら嫌われる。さみしいなんてカッコ悪い。羨ましいなんて頑張ってないだけだ。なるべくネガティヴな感情は消したほうがいい、そう思ってきたので、自分の感情をコントロールするために、たくさんの本を読み漁り、実践し、自分なりに、いつもニュートラルな自分でいようと頑張ってきました。でもね、どんなに頑張ってもどうしようもないくらい急に出てくるんです。ネガティヴさん笑もう〜これはどうしたものか〜、、、と思った時に出会ったのが、冒頭の言葉でした。あ、そっか。見ないふりして閉じ込めてしまっていたから、気づかせるために何回も出てきてくれたのね…。と。人はどうしても、ネガティヴな感情を解決するために行動を起こします。そして、感情を”見える化”してしまいますね。悲しくなったら泣いて誰かを責め、さみしくてわかってほしいからと言いたいことを相手にぶつけ、怒ると顔をつって正義を振りかざし、嫉妬はやがて束縛に変わったり、自分を傷つける原因になってしまったり…。気がつけば取り返しのつかないことになっていて、トラウマになってしまう。ネガティヴな感情は、ときに人間を豹変させ、とんでもない行動を起こさせてしまう。だからダメ!と思っている人がほとんどだと思うんです。でも、よく考えると、感情と行動って、全く別物なんですよね。感情は、どう頑張っても目に見えません。目に見えない領域のものです。なので、理性で、頭で理解できるように、そう捉えるのは、難しいです。よって、理解したつもりで行動に移したところで、的を得ていないことが多いと思います。だから私たち、特に女性は、思いが湧き上がってきたとき、行動に移すのではなく、自分の感情をしっかり見つめてあげることが大切です。怒りや悲しみが湧き出てきても、それを ”良い” ”悪い”で判断せず、何も考えず、「あ、私怒ってるね」「悲しいね、私」と受け入れてあげることが大切です。そうすれば、段々(時間はそれぞれですが)感情の本質が見えてきます。あ、私はこれを明確にしたかったんだ、こういうことが嫌だったんだ、と理解し、それから相手に素直な気持ちを伝える。そう言う風に適切な行動ができるようになり、人生はもっともっと豊かになります。しかし!!!!!!!最近の世間様は、自分の感情と向き合う隙もくれないくらい厳しいですね!!(笑)幸せの条件はこれ。こんな人は成功しない。上に立つ人はこうでなければいけない。素敵な人はこれをしている♡好かれる人に共通している10項目♡などなど...(笑)世の中は、容赦なく人を判断してきます。SNSの発展で、それはさらに激しくなったなと感じます。なので、人は自分に感情が湧き上がってきたとき、「わ!私はなんてことを思ってるの?あの人がこれじゃ成功できないって言ってたわ!これじゃダメなまんまよ!」っと、出てきた涙を無理に引っ込め、強がり、ポジティブなフリをして、せっかくの自分だけの大事な感情を消そうとしてしまいます。これってすごくもったいない!!!!!もっと丁寧に自分の感情に向き合えば、もっといい人生が待ってるかもしれないのに、、!と今では思います。確かに、仕事上では、世間が言う条件に従ったほうがうまくいくときもあるし、本当に人格者である方々が提示する幸せの条件は、正しいな〜とも思います。でも、今、そういった声に従って、自分を消している人が本当に多い気がする。理想の自分を持つことは大切です。こうなりたい。ああなりたい。素晴らしい自分になりたい。そう思うことは向上心を持つことにつながります。でも、そんな理想の自分になるのは、今の自分です。だから、今の自分が一番大切です。今の自分を大切にするためにも、どうか自分だけは、自分を判断しないで受け入れてほしいな〜と思います。怒ってるね、悲しんでるね、嫉妬してるね、それも自分だねって。人を判断する人が多すぎます。「今の世の中に合う人」を作ろうとする人がたくさんいます。でも人は、世の中に”最適”な存在になってはいけない。”最適”より”最善”を、です。自分を判断せずに、自分を大切にする人が増え、その人が、また自分の周りをも判断せずに大切にできるようになったら最高な世界になりますね。クリスマスの夜に、素敵な世界を願います。みなさん素敵なクリスマスを!!!2017.12.24 12:46
WHY doTERRA?〜アメリカコンベンションへ!〜9/5〜9/10湿気の少ない(最高!)ユタ州・ソルトレイクシティにて行われたdoTERRAグローバルコンベンション2017に行って来ました!2017.09.19 02:11
キッズのための栄養学&アロマタッチ講座先日、キッズのための栄養&アロマタッチ講座を開催しました。脳みそが柔らかいうちがチャンスだ!!!!ということで、”食べる”ってどういうこと?私たちの体は何でできているの?自分に本当に必要なものって何なの?今、地球の土壌はどんな状況になっているの?と言う感じのお話から、自分で自分の体をケアする方法、感情をコントロールする方法まで。そして話は盛り上がり脱線し…(笑)、人工知能の可能性とは?これから先の日本ってどうなって行くの!?という未来予想話にまで突入!2017.08.14 09:29
オイルで占い。(もどき)〜香りで自分を成長させる♡〜土壌が素晴らしい土地で、愛情たっぷり作られた植物から抽出された100%天然のエッセンシャルオイルは人間の心と体と魂♡を限りなく豊かにしてくれます。まさかこんなことまで…!と言う驚きに日々出会うエッセンシャルオイル生活。目に見えてる世界って、本当にちっぽけなんだなあと気付かされます。最近の私は2週間に一度、顔とボディ用に「私のためだけの特別美容オイル♡」を作るのが習慣です。30mlの容器に、ココナッツオイルを入れ、美容にいいと言われているエッセンシャルオイルの中から5〜7種類選び、大体合計12滴くらいになるように入れて作ります。一番のポイントはエッセンシャルオイルの選び方。自分の肌の状態とか、オイルの特性とかは全部無視して、とにかく嗅覚に頼る。今ずっと嗅いでいたい!!!と思う香りを選ぶんです。エッセンシャルオイルに対する嗅覚の反応って、本当にフシギなんですけど、「昨日好きだった香りが今日はそこまで好きじゃない」と言うことがよくあります。そしてその変化が今の体調・感情の変化とピタリと当てはまります。例えば、クラリセージめっちゃくちゃ甘くていい香り〜♡と感じる時は生理前だったり、いつもはちょっときついかな〜と思うイランイランとかオレガノが、モヤモヤイライラしている時は鼻から離したくないくらいいい香りに思ったり。今求めている香りが、今私が改善したい、こうなりたい、と思っている箇所を教えてくれるんです。まさにオイルからのメッセージ♡…ということで、選んだエッセンシャルオイルの意味を自分なりに分析することで、今の自分がどうなりたいのかを確認することもできるので、この美容オイルづくりは役立っています。ちなみに私はこちらのサイトさんを参照して、一本一本のキーワードを見て自分と照らし合わせたりします。トップの画像は、先月頭に作ったやつですが、心理作用を調べてみるとミルラ→静寂、統合クラリセージ→明晰さ、直感シダーウッド→自立、瞑想フランキンセンス→静けさ、瞑想マジョラム→慰め、癒しティーツリー→自信、忍耐レモングラス→ チャレンジ、可能性オイルからのメッセージは、静かな時間を持ち、瞑想をして明晰さと直感を鍛えて自信をつけよ!そしたらチャレンジだ!進め!!みたいな意味かな(そのまんま)と受け取りました。なんかよくわからんけどとりあえず瞑想か…?なんて思ったのですが、この美容オイル、実は、ファスティング合宿に持っていくために作ったんです。その合宿では3泊4日静かに自分と向き合い、何度も瞑想する時間がありました。なんか、占いみたいに当たってる…ビックリ!!!…という感じで、自分で自分を占うことができる(笑)特別美容オイルは、約2週間、顔や身体に塗りたくって使います。そうするとフシギなんですけど、使い終わった時には必ず何かしらが変わります。皮膚が綺麗になるのはもちろんなんですけど、一皮向けた感じというか、修行を終えた感じというか、トラウマに打ち勝った感じというか…なんかよくわからないけどなりたい自分にまた一歩近づけた、みたいな感じがします。なんか最近本当に、どうした!?って感じなんですけど、自分の中に誰かいる…(幽霊!?)みたいな、自分じゃない何か大きな力に生かされている(神様…!)、というような感覚をすごく現実的に感じています。心臓を動かしているのって、自分の意識じゃないんだよなあ…と思ったときに、なんかもしかしたら私の中にはすごい何かがいてくれるのか!?と思ったんです。だからもっと入れ物である肉体のケアしっかりしなきゃって。栄養不足なんてもってのほかだ!って思いました。目に見えない世界は見えないがゆえに何が起こっているのかまったくわからないのですが、でも宇宙の中に生きている限り、まだ見えていない世界というのは確実にあって、その世界はきっと想像もできないくらい強いエネルギーを持っているのだろうと思います。だから、その強さを敵に回すのはやっぱり怖いし、味方になってくれたらめっちゃ心強い!!ということで、まずは自分の中に確実にいる偉大な存在を大切にするために、自分を愛して自分を満たすことだな〜と思った私でした。オイルをお持ちの皆さん、是非特別美容オイル作ってみてください♡持ってない方は是非始めてください♡2017.08.03 09:54
親ってフシギ。〜許しは最大の愛なんだなあ〜親って、本当にフシギ。よく、親友とこんな話をするんです。「うちらのお母さん、今の私たちの年齢で私たち産んだとかやばくない?今そんなこと考えられる?」「いや、無理。だってさ、自分みたいな子どもが生まれるんか…って思うと、子どもが欲しいとか簡単には考えられんやん。だって絶対イヤやん、こんなワガママな子ども。笑」「確かに…。笑」思えば子どもは、生まれた瞬間から大切な親に向かって泣き叫び、お腹すいた!眠い!なんか気持ち悪いぞ!遊んで!早く!!!…と、いつもワガママ全開!全力で泣きながら何かを訴えています。両親はそれを見てなぜか「あ〜〜〜ごめんね〜〜〜。ちょっと待ってね〜〜〜。」なんて、すごく低姿勢で接してくれる。フシギ。成長すれば今度は、反抗したり、無視したり、わがまま言いたい放題だったり、心配かけまくりだったり。親孝行という言葉を知って、いつもありがとう♡と言ったかと思えば、30分後には機嫌悪かったり…子どもが何か問題を起こすと「親の責任」。精神的な病も元を辿れば「親の責任」。結婚できないのも「親の責任」。子どもと親は別々な人間で、別々の人生を歩んでいるはずなのに、なぜかいつも「親の責任」と言う言葉がつきまといます。なんかもう本当に迷惑な話だし、ありとあらゆる人間関係のタブーを犯しているというか。自分たちが産んだはずなのにどうしてこうも思い通りにならないのか、と思っているはずじゃ!?と子どもの私は思うわけです。それなのに、おおよそすべてのママパパたちは、色々あっても、それでも子どもを愛してるらしい。子ども経験しかない私は、頭では理解できても、やっぱり本当にフシギ。私は、22歳で大学を卒業して実家に戻り、今また両親と過ごしているわけですが、近くにいて、特に両親に尽くすわけでもなく、前よりは多少マシだと信じたいところだけど、相変わらず子どもです。父には相変わらず悪態つくし、ほんのついさっきも母に「うっさいなあ!」と叫んでしまったところですヨ。何も変わらず子どもなんです。23歳になった今も。しかし、両親は私に、「帰ってきてくれてありがとう。すっごく支えられてる。」って言ってくれます。もちろん険悪〜なムードになることもあったり、喧嘩したりもあるけれど、それでも父は「かれんのためなら」ってしょっちゅう言ってくれるし、母は私が不機嫌でも「あら〜、反抗期なんてとっくに終わったかと思ってたわぁ↑↑♪」と明るく受け流してくれます。そして私のことを、すっごく信じてくれている。すっごくダメ野郎なのに!もう、本当に、フシギ!!両親は決して心が広すぎる人間、という訳ではないと思います。なのに、この子どもに対してだけ巻き起こる、海のように広い心は、どこから生まれているのか。私にはまだわかりません。言葉で説明できるものでもないと思う。家族って、本当に不便じゃないですか。一番近くにいるのに、何度も何度もうまくいかないし、違う人間だから当然分かり合えないし、その分かり合えないことを認めることも出来ない。(昨日も父と母はわかりあえないってプンプンしてた!結婚して30年も経ってるのに!)だからどうしても、利便性を追求しすぎた今の社会の中では、家族は切り離し対象な気がします。面倒だから。結婚や子育てはなぜか、損得で考えられてしまって、若者は恋愛せず、初婚年齢は上がる一方だし、出生率は下がる一方です。色んなことが積み重なり、家族と縁を切ってしまうということも少なくはない。親が子を殺めてしまうという痛ましい事件も頻繁に起こっています。(逆も然り)実際、家族の関係ってまったく綺麗じゃないし、うちの家族を例に取っても、過去何度バラバラになったかわからないし、ドロッドロだったなあ〜とか思うし、SNSみたいに簡単にブロックできないし、今でも煩わしいなと思うこともときにあります。だから、本当に面倒だと思います。でも今回、久々に家族写真を撮ってもらいました。2017.07.21 04:16
おいしいコーヒーの真実〜考える消費者に〜高校生のとき、通っていた国語塾の先生は、国語よりも(いや、国語もすごかったけど)人生について教えてくれる最高な先生でした。そんな先生がどうしても若いうちに見て欲しいと言って上映会を開いて見せてくれたのが、こちらのドキュメンタリー映画。「おいしいコーヒーの真実」2017.07.17 09:01
空腹は幸せへの一歩〜ファスティング合宿を終えて〜福岡県の山奥にて、3泊4日のファスティング合宿に参加してきました!目的は、大好きなしいたけさん(占い師)に会うため!!!!!!!!*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*しいたけさん、皆さんご存知ですか?知らない方は是非、占いが好きとか好きじゃないとかそんなの関係なしに読んでいただきたいのですが、今大ブレイク中の占い師さんです。私、しいたけさんの、一人一人の人間を優しく包み込んでくれるような温かい文章が本当に大好きで、しいたけさんの文章に触れてからというもの、生きるのが本当に楽になりました。そんなしいたけさんが大好きなのですが、しいたけさんって、個人鑑定はもうしていなくて、会える機会はそうなさそうだし、服装はブログで見て、声も聞いたことはあるけどお顔はどこにも出ていないし、なんか占い師だけどすごい庶民的な感じがSNSから感じられるし、んー、よくわからない感じが超ミステリアス!!!!だから、すごく会いたかったんです。何もかもを投げ出してでも…!そんな私の念は見事に届きまして、今回福岡の篠栗にあるファスティング旅館「若杉屋」で行われた3泊4日のしいたけさん講座付きファスティング合宿に参加することができました。ここでは、内臓・こころ・脳をお手入れして、「本当の休息」を。というのをコンセプトに、ファスティングをしながら、森林セラピー、リラックスヨガ、瞑想、写経、ストレッチポール、ハンモック(最高!!!)など、あらゆるリラックス体験ができる旅館です。そこに今回は計3回のしいたけさん講座付き。23名の初めましての方々と共に、断食という非日常的な体験をしながら、山奥で自然に囲まれて過ごす日々は、もう本当に素晴らしくて、終始気づきがたくさんでした。なんかですね、コミュニケーションって、本当に素敵なものなんだな、と、深く感動した4日間でした。正直、しいたけさんだけを目的に申し込んだので、ファスティングとか、合宿生活には興味がいかず、むしろはじめましての人たちと4日間も、しかも相部屋で生活を共にするなんて、私みたいなのいて大丈夫かなとか、ひとりの時間ないとか無理じゃないかなとか、合わない人いたらどうしようとか、食べなくてイライラするんじゃないかなとか(笑)、とりあえずすごい不安で、でもまぁこれも人間関係で成長するための修行か…なんて、ちょっと苦行をしに行くみたいに思っていたんです。ですが、旅館について、まずはじめに言われたことが、「ここでは自分最優先で行動してくださいね。」だったんですね。組まれているあらゆるプログラムは全て参加自由、眠かったら寝ていて良いし、いつシャワーを浴びても良い、いつ本を読んでも良い、いつ一人になっても良い、とにかく自分と対話して、自分がしたいことをしてください。と。そして今回はしいたけさんが事前に、今回の合宿では、「普段なにをしているんですか」とか仕事とかについてお互い聞くのやめましょうかね。流れで出てきたらそのときはその時で。と言うゆるいルールを設けてくださっていました。なんかそれが結構衝撃的で、私の今までのコミュニケーションって、年齢聞いて、お仕事聞いて、趣味聞いて〜…相手の興味を探ってそれに合わせて話すコミュニケーションが多くて、だから一生懸命相手と話せる話題を探して、つまらなくないように頑張って話して、相手に気に入られそうな答えを探して、、みたいな感じで、とにかくずっと頭が働いている状態。正直全く楽しくないし、面倒だなって思っていました。それが今回の合宿では、みんな自分最優先だし、相手を探るということがまずないし、相手にも探られないというのがわかっているから、本当に気持ちが穏やかほがらかで。しかも断食しているのでだんだんお腹が空いて頭が働かなくなっちゃって。もう感覚だけで生きているような感じ。だからいつもの、わかり合わなきゃ!!!!みたいな変な気合いが全く湧かないんです(笑)あ、わかってくれたら嬉しいですけど、わかってもらえなくても全然大丈夫ですよ、聞いてくれて、そばにいてくれてありがとうございます。みたいな気持ち。相手の存在そのものを受け入れて、私の存在そのものを受け入れてもらっているような感覚を感じて、同じ空間にいるのに、それぞれがちゃんと一人の人間で、輪に入っていようがいまいが全く孤立することなく自由に存在している感じでした。頭を使わないコミュニケーションが成立した上にこの上なく心地よかったことにとりあえず感動したし、コミュニケーションってわかりあうことではなくて、存在を感じあうことなんだな〜って。わかってもらうことを諦め、手放したとき、人は自由に人を愛せるのではないか、なんて思いました。これから合コンとかは是非この方式でやっていただきたいですね。自己紹介は名前だけ!後は各々流れで!みたいな。きっと楽しいと思いますね。そしてファスティング。しいたけさんが、食べ物を体に入れるということは、体にガソリンを入れるということで、現代の生活ではどうしてもそのガソリンを使い切れずに体に溜め込んじゃっている状態。だからその使い切れていないガソリンのせいで、何かやらなきゃ、とか、このままじゃダメだ!みたいな脅迫感覚を持ってしまい焦りや不安を感じてしまうことってあると思う、とおっしゃっていました。確かにその通りで、今回、胃を空っぽにして内臓を休ませ、ずっと自然の中で過ごしていると、緊張・不安・怒り・焦りという感情が全く出てきませんでした。日本人によくありがちな、休むことへの罪悪感も全く感じないし、ふとした時に湧き上がる自己否定も全く浮かばないし、やっぱり体が軽いと、心も軽いんだな、と、身体と心がどれだけ深く連動しているのか、ということを感じました。ということで、何をしても疲れが取れない人は是非、自然の中でのファスティング、オススメします。都会の人は特に。今回の合宿、しいたけさんに会えて、素敵な方々に出会えて、私の今年の目標「ストレートなコミュニケーションが取れるようになる」のヒントを得ることができて、将来ハンモックがある家に住むという夢ができた、素晴らしい時間でした。〜しいたけさんブログ(遡って読んでください)〜https://ameblo.jp/shiitake-uranai-desuyo/〜しいたけ占い週報(毎週月曜更新!!)〜https://voguegirl.jp/horoscope/shitake/〜しいたけ占い2017下半期(必読!!!)〜https://voguegirl.jp/horoscope/shitake2017/〜しいたけさん本(人間は絶対チェックすべし)〜2017.07.12 14:26
逃げた先に、「光」があることもあるのだ最近、朝活を始めました。近所の海がすごく綺麗だったことに気づいて本当に幸せです。エッセンシャルオイルを使い始めて一年半。たくさんの方に出会い、触れることで、人との境界線がなくなる瞬間の幸せを、日々感じております。人の肌と肌が触れ合うというのは本当に素敵ですね。全ての障害を跳ね飛ばして、手の届かない想いを簡単に伝えてくれます。人はみんな、体調の変化とか、そういうちょっとしたことで相手に気を使えなくなって傷つけてしまったり、価値観の違い、例えば、私にとっての褒め言葉が相手にとって傷つくことだったりもする。そしてそんなちょっとしたすれ違いが、簡単に人間関係を壊してしまうことだってあるわけです。そんなとき、「触れ合う」というコミュニケーションは本当に有効です。性格も過去の過ちも、もう何もかも吹っ飛ばして、ただ純粋に「生きていてもいいんだ」って思わせてくれるから。動物にとって、寄り添い合うことは体温の低下を防ぎ生き残っていくためですが、人間も同じです。寄り添い合うことで初めて希望を持って生きていくことができるのだと思います。今日は、15歳の男の子がお客様として来てくれました。いじめが原因で、学校が怖い。夜も眠れない。でも卒業はしなきゃ行けない。だから、保健室で勉強しているのだそうです。頑張って乗り越えた先には光が絶対あるから。辛抱だ。頑張れ。もう少しだって。だから逃げずに、日々戦っているのです。でも、そんな子が今日、アロマタッチを受けた後に、本音を言ってくれました。「本当は学校が嫌だ。行きたくない。」と。…もう( ; ; )今すぐ逃げちゃって!!!!!そう思いました。私が今まで生きてきて、本当に親に感謝だなと思うのは、「苦しいときは逃げるという選択肢もあるよ」ということを教えてもらえたことかなと思います。小学生のとき、いきなり学校に電話がかかってきて「おじいちゃんが入院したからすぐに行かなくては」と早退させられたことがあります。そして急いで迎えにきてもらい車に乗り込むと、おじいちゃんが危なくて切迫しているはずなのに、両親はなぜか満面の笑み。そして放った言葉は「今から福岡に野球見にいくわよ〜☆」と。…いや嘘かいっ!なんて人騒がせな!!!でも、そのときは丁度、学校で無視されていて辛かったときでした。すごく救われました。中学生のとき、いろんなことが重なり続けてパンク寸前だったときは、海でボケーっとしてから学校行ったり、学校を休んで富士山の麓にいる仙人みたいな人に会いに行ったり、東京にいる素敵な大人たちに会わせてもらったりしました。(先生たちすみません)そういう風に学校という箱の中から逃げ出して行った場所はいつも、私にいろんな選択肢を与えてくれました。「世界は学校の中だけではないのだ」ということを、小さい頃からたくさん教えてもらいました。だから、若いうち、守るものがないうちは、本当に辛くなったら日常から逃げればいいと、今でも思っています。そうすると、今まで出会ったことのない世界に絶対出会うから。ただ、世間というのは本当に逃がしてくれないですね!笑逃げた先に希望があるなんて、まったく信じてくれません。辛くても頑張るのが当たり前だろとか、甘えてるぞ!とか、そんなんじゃ絶対いいことねえぞ!とか、ちょっとでも逃げるとMY☆人生哲学を語ってくる大人に捕まり、袋叩きにされてしまいます。でも、いまの時代を生きる人たちって、本当にたくさんの選択肢があると思うんです。学歴や肩書きで人は判断できない、と言ってくれるリーダーがたくさんいるし、本もたくさんある。仕事になるなんて思ってもいなかったことが仕事になりうる。社会のレールから外れることが大きなチャンスになりうる。なにがあるかわからないけど、どこまでも飛んで行けるし、何があっても生きて行けると思うんです。本当に自由!そしてこれは、おじいちゃんおばあちゃん、お父さんお母さんたちが必死の思いで苦労してこの社会を作り上げてくれたおかげです。みんな幸せにならなきゃその人たちの苦労が報われない。それなのに、そういったたくさんの選択肢を歓迎してくれる大人って本当に少ないし、享受する子どもも本当に少ないと思います。社会は、競争で権力を勝ち取る、弱肉強食、男性的な社会から、愛と調和・精神性を重んじる女性的な社会に移行すると言われています。物質的な満足より精神的に満足すること。戦争反対!と叫ぶよりも平和最高!と歌うこと。人々の興味も、物質的なものより精神的なものに移り変わっているのを日々感じます。でも、そうはわかっていても、やはり、競争社会のレールを歩む方が安心、という考え方の方がまだ多数派です。私は、早稲田大学法学部を卒業しました。世間的にいう”高学歴”を得ました。卒業して、新しく出会う人に大学名をいうと、「すごいね〜!頑張ったね〜」「頭いいね〜!」と言われます。まあ、正直、悪い気はしません。笑でも、学歴から得られる情報ってこれだけなんです。私が、実は法律科目は苦手でよくわかっていなくて、経済にはちっとも興味がなくて、感性とか芸術とかそんなことばかり学んでいたとか、いわゆる変人とかオタクっぽい人が好きとか、群れるのが嫌いとか、週末はいつも飲んだくれていたとか、論理的思考がまったくないとか、世界地図がわかんないとか、友達からバカバカ言われていたこととか。そういう、この人はどういう人間で、何を見て、何を感じてきたか。という、人として一番知りたい情報が、学歴とか肩書きからは何も感じ取れません。学歴からわかるのは、一般的なイメージだけで、自分ではありません。でも、競争社会の中に生きていると、何を見て、何を感じてきたか、ということよりも、どういう肩書きで、何を持っているのかで判断されがちです。私は、大学三年生の時に、本当にやりたいことがなくて、興味を惹かれるものがなくて、就職活動も、大学院に行くこともしないと決めました。あっさり。今までの流れとして、捨てたら新しいものに出会うし、直感は間違いない!って思っていたから、簡単に決められたんです。そしたらまあ〜、世間の目は厳しかった!笑絶対今から大変だよ。とか、なんのために大学入ったの?とか、やりたいことがないからしないって、ただの逃げじゃん。とか、大学を出た人は、いい会社に就職して両親に返していかないとね。とか、親戚にも、ちゃんとしたとこにお勤めしなさい!と叱られました。だんだん私は間違ったことをしているのかも、甘えてたのかも、ダメなのかも。と思い始ました。しかも、教育にかけてもらったお金のことを言われた時には、あ、もうダメだ。私は間違った選択をしたんだ。と思いました。最終的には、母が「やりたいことないんでしょ?帰ってきてゆっくり見つければいいよ」と言ってくれ、実家に戻ることを決意しました。ただ、その決断も理解してくれる人は少なかったです。実家に戻ると決めてからも、しばらくの間も、本当に葛藤でしたし、友達の「初任給で両親にご馳走\(^o^)/」みたいな投稿を見た時には、それはもう落ち込みました。実家で働いて、金食い虫な私って…と。だがしかし!やっぱり私は出会いました!私が今まで社会に感じていた理不尽さを微塵も感じさせず、時代は間違いなく変化するのだと信じさせてくれる理想の会社に。社会はきっと自由になると思う。だから、誰になんと言われようと、どう思われようと、逃げだとバカにされようと、自分で決めて信じた道に進めば、必ず光があると思うのです。社会や学校、肩書きや権力にとらわれ、がんじがらめになっている子どもたちに、逃げ道を、そしてたくさんの自由な選択肢を提示し続けられる大人でありたいというのが私の目標です。…とは言え!私はまだ発展途上だし、私の人生実験中なので、もしかしたらくたばるかも…なのですが、私が尊敬しているたくさんの成功者は口を揃えて、学歴や肩書きにとらわれるな。何を見て、何を感じてきたかだ。と、言ってくれます。だから、きっと大丈夫だと思います。逃げても大丈夫です。道から外れても大丈夫。その後にはちゃんと新しい道が用意されているし、どんな道にも希望はあります。今どん底の皆さんが、少しでも光を見てくれればいいなと思います。2017.06.23 10:01