逃げた先に、「光」があることもあるのだ

最近、朝活を始めました。近所の海がすごく綺麗だったことに気づいて本当に幸せです。



エッセンシャルオイルを使い始めて一年半。

たくさんの方に出会い、触れることで、人との境界線がなくなる瞬間の幸せを、日々感じております。


人の肌と肌が触れ合うというのは本当に素敵ですね。全ての障害を跳ね飛ばして、手の届かない想いを簡単に伝えてくれます。人はみんな、体調の変化とか、そういうちょっとしたことで相手に気を使えなくなって傷つけてしまったり、価値観の違い、例えば、私にとっての褒め言葉が相手にとって傷つくことだったりもする。そしてそんなちょっとしたすれ違いが、簡単に人間関係を壊してしまうことだってあるわけです。そんなとき、「触れ合う」というコミュニケーションは本当に有効です。性格も過去の過ちも、もう何もかも吹っ飛ばして、ただ純粋に「生きていてもいいんだ」って思わせてくれるから。動物にとって、寄り添い合うことは体温の低下を防ぎ生き残っていくためですが、人間も同じです。寄り添い合うことで初めて希望を持って生きていくことができるのだと思います。


今日は、15歳の男の子がお客様として来てくれました。

いじめが原因で、学校が怖い。夜も眠れない。でも卒業はしなきゃ行けない。だから、保健室で勉強しているのだそうです。頑張って乗り越えた先には光が絶対あるから。辛抱だ。頑張れ。もう少しだって。だから逃げずに、日々戦っているのです。


でも、そんな子が今日、アロマタッチを受けた後に、本音を言ってくれました。



「本当は学校が嫌だ。行きたくない。」と。



…もう( ;  ; )今すぐ逃げちゃって!!!!!



そう思いました。


私が今まで生きてきて、本当に親に感謝だなと思うのは、「苦しいときは逃げるという選択肢もあるよ」ということを教えてもらえたことかなと思います。


小学生のとき、いきなり学校に電話がかかってきて「おじいちゃんが入院したからすぐに行かなくては」と早退させられたことがあります。そして急いで迎えにきてもらい車に乗り込むと、おじいちゃんが危なくて切迫しているはずなのに、両親はなぜか満面の笑み。そして放った言葉は「今から福岡に野球見にいくわよ〜☆」と。…いや嘘かいっ!なんて人騒がせな!!!

でも、そのときは丁度、学校で無視されていて辛かったときでした。すごく救われました。


中学生のとき、いろんなことが重なり続けてパンク寸前だったときは、海でボケーっとしてから学校行ったり、学校を休んで富士山の麓にいる仙人みたいな人に会いに行ったり、東京にいる素敵な大人たちに会わせてもらったりしました。

(先生たちすみません)


そういう風に学校という箱の中から逃げ出して行った場所はいつも、私にいろんな選択肢を与えてくれました。


「世界は学校の中だけではないのだ」


ということを、小さい頃からたくさん教えてもらいました。


だから、若いうち、守るものがないうちは、本当に辛くなったら日常から逃げればいいと、今でも思っています。そうすると、今まで出会ったことのない世界に絶対出会うから。


ただ、世間というのは本当に逃がしてくれないですね!笑

逃げた先に希望があるなんて、まったく信じてくれません。辛くても頑張るのが当たり前だろとか、甘えてるぞ!とか、そんなんじゃ絶対いいことねえぞ!とか、ちょっとでも逃げるとMY☆人生哲学を語ってくる大人に捕まり、袋叩きにされてしまいます。


でも、いまの時代を生きる人たちって、本当にたくさんの選択肢があると思うんです。学歴や肩書きで人は判断できない、と言ってくれるリーダーがたくさんいるし、本もたくさんある。仕事になるなんて思ってもいなかったことが仕事になりうる。社会のレールから外れることが大きなチャンスになりうる。なにがあるかわからないけど、どこまでも飛んで行けるし、何があっても生きて行けると思うんです。本当に自由!そしてこれは、おじいちゃんおばあちゃん、お父さんお母さんたちが必死の思いで苦労してこの社会を作り上げてくれたおかげです。みんな幸せにならなきゃその人たちの苦労が報われない。


それなのに、そういったたくさんの選択肢を歓迎してくれる大人って本当に少ないし、享受する子どもも本当に少ないと思います。


社会は、競争で権力を勝ち取る、弱肉強食、男性的な社会から、愛と調和・精神性を重んじる女性的な社会に移行すると言われています。物質的な満足より精神的に満足すること。戦争反対!と叫ぶよりも平和最高!と歌うこと。人々の興味も、物質的なものより精神的なものに移り変わっているのを日々感じます。


でも、そうはわかっていても、やはり、競争社会のレールを歩む方が安心、という考え方の方がまだ多数派です。


私は、早稲田大学法学部を卒業しました。

世間的にいう”高学歴”を得ました。


卒業して、新しく出会う人に大学名をいうと、

「すごいね〜!頑張ったね〜」

「頭いいね〜!」

と言われます。まあ、正直、悪い気はしません。笑


でも、学歴から得られる情報ってこれだけなんです。


私が、実は法律科目は苦手でよくわかっていなくて、経済にはちっとも興味がなくて、感性とか芸術とかそんなことばかり学んでいたとか、いわゆる変人とかオタクっぽい人が好きとか、群れるのが嫌いとか、週末はいつも飲んだくれていたとか、論理的思考がまったくないとか、世界地図がわかんないとか、友達からバカバカ言われていたこととか。


そういう、この人はどういう人間で、何を見て、何を感じてきたか。という、人として一番知りたい情報が、学歴とか肩書きからは何も感じ取れません。学歴からわかるのは、一般的なイメージだけで、自分ではありません。


でも、競争社会の中に生きていると、何を見て、何を感じてきたか、ということよりも、どういう肩書きで、何を持っているのかで判断されがちです。


私は、大学三年生の時に、本当にやりたいことがなくて、興味を惹かれるものがなくて、就職活動も、大学院に行くこともしないと決めました。あっさり。今までの流れとして、捨てたら新しいものに出会うし、直感は間違いない!って思っていたから、簡単に決められたんです。


そしたらまあ〜、世間の目は厳しかった!笑


絶対今から大変だよ。とか、

なんのために大学入ったの?とか、

やりたいことがないからしないって、ただの逃げじゃん。とか、

大学を出た人は、いい会社に就職して両親に返していかないとね。とか、

親戚にも、ちゃんとしたとこにお勤めしなさい!と叱られました。


だんだん私は間違ったことをしているのかも、甘えてたのかも、ダメなのかも。と思い始ました。しかも、教育にかけてもらったお金のことを言われた時には、あ、もうダメだ。私は間違った選択をしたんだ。と思いました。


最終的には、母が「やりたいことないんでしょ?帰ってきてゆっくり見つければいいよ」と言ってくれ、実家に戻ることを決意しました。ただ、その決断も理解してくれる人は少なかったです。実家に戻ると決めてからも、しばらくの間も、本当に葛藤でしたし、友達の「初任給で両親にご馳走\(^o^)/」みたいな投稿を見た時には、それはもう落ち込みました。実家で働いて、金食い虫な私って…と。


だがしかし!やっぱり私は出会いました!


私が今まで社会に感じていた理不尽さを微塵も感じさせず、時代は間違いなく変化するのだと信じさせてくれる理想の会社に。



社会はきっと自由になると思う。



だから、誰になんと言われようと、どう思われようと、逃げだとバカにされようと、自分で決めて信じた道に進めば、必ず光があると思うのです。社会や学校、肩書きや権力にとらわれ、がんじがらめになっている子どもたちに、逃げ道を、そしてたくさんの自由な選択肢を提示し続けられる大人でありたいというのが私の目標です。


…とは言え!私はまだ発展途上だし、私の人生実験中なので、もしかしたらくたばるかも…なのですが、私が尊敬しているたくさんの成功者は口を揃えて、学歴や肩書きにとらわれるな。何を見て、何を感じてきたかだ。と、言ってくれます。


だから、きっと大丈夫だと思います。逃げても大丈夫です。道から外れても大丈夫。その後にはちゃんと新しい道が用意されているし、どんな道にも希望はあります。


今どん底の皆さんが、少しでも光を見てくれればいいなと思います。

carino

南 かれん

大分とトーキョーを行き来する24歳。
猫が好き、音楽が好き、古風なものが好き、本物が好き。

妥協のない人生、直感に従う人生を実験中😇

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